みなさんこんにちは、清水です。
2010年より本格的に始動し、熟考を重ねながら作ってまいりました「La Barbaシャツ」。
毎シーズン店頭から瞬く間になくなり、大変ご好評いただいき嬉しく思っております。
今季のシャツも出来上がりましたので、ご紹介させていただこうと、色々と頭の中で考えていたのですが、「そもそもシャツって何なの?!」っていう疑問を持たれている方もいるのではないかとふと思い(勝手な推測ですみません。)、本日のBLOGタイトルにもありますが、「シャツとは」というところを歴史を追って書かせていただきます。
※少々マニアックで自己満的な部分もございますが、ご容赦願います。
「シャツ」、すなわちフランス語でいう「シュミーズ」は本来は下着でした。
過去の資料より、9世紀~10世紀にかけてバイキングや修道士が身につけていたリネンの下着が起源とされています。
現在の下着感覚の衣服が生まれたのが13世紀、14世紀には衣服の男女の差が明確になり男子はプールポワンとショース(今でいうジャケットとパンツ)という2部形式に。下に着るシュミーズを表面に覗かせるためプールポワンに切り込みをいれるスラッシュが流行。この頃はまだまだシャツは表には出てきません。
そしてようやく15世紀中ごろから表からは見えなかったシャツが、はっきりと現われてきます。こうして一旦現われたシャツは次第にその存在を主張し始め単に表に出るだけでなく、刺繍などの装飾が施されるようになりました。
しかし、17世紀後半、現代紳士服の三つ揃え(ジャケット・ベスト・パンツ)の原型と言われる「ジュストコール・スタイル」が完成。コートのジュストコールの下にフリルやジャボをつけたシャツを着て、襟元にはクラヴァット(ネクタイの原型)を結び、シャツはベストの下、上着の中に隠れてしまいました。
19世紀にはいると、紳士服の主導はロンドンサビル・ロウ通りへ移る。テールコートやフロックコートを着て、ベスト、そして長ズボンのトラウザーズという構成。このころのシャツは、衿は取り外し式のウイングカラーでクラヴァットを巻いた。シャツの前開きは全開ではなく途中までスッタズで留めるようになった、プルオーヴァー式。ジェントルマンたちはリネンにこだわったが、産業革命後にはコットンのものが急速に広まっていきました。
19世紀後半になると衿は折り返し衿のダブルカラーになり、衿腰の高いハイカラーが主流に。この頃ロンドン留学中の夏目漱石が替えカラーにこだわったように、またハイカラという言葉が洋装のお洒落な男性を指したように、日本で取り入れられたのがこのシャツでありこれがヨーロッパの服装のシンボルとも考えられました。
この頃現在と同じ、ネクタイを結びシャツは全開の前開きになり着方は今と同じとなりました。
現在の日本でいうワイシャツ(ホワイトシャツからのネーミング)の原型は、第二次世界大戦後のアメリカを主導に登場。まず衿、カフスを縫いつけるのが常識になりました。1960年代以降ベストが省略されることが多くなり、胸ポケットがつけられ現在のシャツのデザインとなりました。
今では当たり前のように着用しているシャツも、歴史と共に姿・形を変えてきたと思うと考え深いところもありますね。
このようにあらゆる洋服には背景が必ず存在します。そんな背景を知りながら洋服を見るのも、また視点が変わって面白いのではないでしょうか。
洋服の事に関して何か知りたい事などありましたら何でも聞いてくださいね!
※2005 5月号の装苑を参考にさせていただきました